このコーナーはみなさんから寄せられた質問に答えた内容を紹介したものです。練習の参考になれば幸いです


相 談

私立高校(中高一貫校の進学校)の講師をしています。
今の学校のハンド部は創部6年目で現在の高2が、中1からハンドボールを始めた初の学年です。中1からハンドボールを始めただけあって彼らはよくハンドボールに慣れており、またよくハンドボールを知っています(高校生にしては)が、勝負所で伝統校に競り負けることが続き、それらの敗戦は偶然ではないと思い私なりに原因を考えた結果

@伝統のない弱さ
A週4日練習(中1〜高3)

という所に原因があるのではないかと考えました(もちろん練習内容もそうですが)。負けた相手は県立の進学校(伝統校)が多く高校から始めた子が多いものの、まじめに週7日練習していると聞きました。@ははじめからある程度わかっていたことで「お前たちが伝統の第一歩を築け」とよくいってきましたが、Aは練習内容を工夫してカバーした気になっていました。
負けた試合はどれも1,2点差の試合で、集中を切らしてのミスや退場によって負けたものばかりで、心の弱さを感じました。
監督の先生は「中学の頃から気持ちが育っていない、このままでは何回やっても同じだし、ハンドボールをやる意味がない」と言いこれまでの指導を悔やんでおられ、私にも「これからは技術(形)ではなく、気持ち(心)を教えてやってくれ」と言われます。
ブロック大会を目指して活動してきましたが、2年生に残された時間はあとわずか。競技をはじめて10年。ハンドボールをやる意味、教える意味が少しずつわかってきたというのが今の私の実感です。
指崎さんの思われる「強さ」、そして「ハンドボールをする意味」とはなんでしょうか?試行錯誤でもがく日々がつづいています




 
 私が思う「強さ」とは、選手一人一人が自主的に、そしてひたむきに、つらい練習を自分に負荷をかけながら、毎日コツコツ続ける姿勢。そして、選手一人一人が常に完璧を求め、完全ではないことに恥辱を覚える姿勢。選手一人一人が、絶頂期にあっても衰退期を思い、どんなにリードしていても逆転負けの可能性を思う姿勢。そんな宗教的な境地と比較したいほど、選手一人一人が自主性を発揮しようとしている状態に「強さ」を感じます。

 以前テレビで、名前は忘れましたがPL学園のある選手が、胸にお守りを着けなて、たたみが擦り切れるまで毎日素振りを繰り返している様子を放送していました。その選手は非常に考え方がしっかりしていて、勝負よりも自己の研磨に主眼を置き、宗教的であり、そして「謙虚」でした。私はその一心不乱な姿勢に「強さ」とともに「恐怖」を覚えたものです。どのような会話のやり取りを行えば、あのような選手ができるのか、と本当に知りたくなったものです。

 「ハンドボールをする意味」は「好きだからやる」それだけです。好きな人にはもっともっと好きになってもらいたい、どうせならみんな世界一ハンドボールの好きな人になって欲しい、今はそう思っています。人は好きなことをやっているときが一番輝いています。私は子供たちの目が、ハンドボールを通じて輝くことに喜びを感じます。喜ばせるために、子供たちの輝く目が見たいから、いろいろ研究します。

 そして、試合でもって勝つよろこびと負ける悔しさを教え、ときには突き放してリベンジをうながし、ときには力いっぱい抱きしめて労をねぎらい、「より高みの勝利」を目指す過程で、指導者と選手がともに人間として成長していくことにこそ、「ハンドボールをする意味」があるのではないでしょうか。

 コーチさんは、敗戦の原因を@伝統のない弱さとA週4日練習としておられますが、原因が具体的ではありませんね。伝統とは一体なんでしょう。そんなもので本当に勝負は決まるのでしょうか。週4日の練習では本当に勝てないのでしょうか。週4日の全体練習と3日の自主練習で勝つ方策は本当に無いのでしょうか。

 私は「勝てない理由」は指導者にあると思います。選手たちには何にも悪いところはありません。真っ白です。その真っ白なキャンバスに選手たちの好きな絵を描かせてやれない指導者、いろんな材料を与えられているのにもかかわらず、それなりにおいしい鍋料理をつくれない指導者にすべての原因があると思います。

 それだけ指導者は責任重大だということです。決して責任の回避を行わず、正面から選手たちとぶつかって問題を解決していって欲しいと思います。